黒人史の痛み “Time for Reparation” by The Sounds Of Blackness

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パワーコーラスのコンセプトをサポートしてくれるグラミー賞アーティスト、The Sounds Of Blackness が新曲を発表しました。

当協会代表理事、木島タローが日本語訳字幕のお手伝いをさせていただきました。画面下の字幕アイコンからONにしていただくと表示されます。

ゴスペルではなく、非常に社会的な作品となっています。

Black Lives Matter 運動の発端となったジョージ・フロイド事件がまさにSounds Of Blacknessの本拠地ミネアポリスであることから、強い憤りが伝わってくる強烈で直接的な言葉でつづられています。

ゴスペルや黒人音楽を学ぶ方が楽曲中に登場する数々の歴史上の出来事について知る機会ともなりうるかと思います。

以下に、歌詞内に登場するアメリカ黒人史の出来事を簡単に解説させていただきます。

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「この国を作らせたこと」

19世紀のアメリカ南部の建築労働の多くが奴隷によって行われていた。特に、1850年台から60年台にわたって急速に整備された鉄道網の建設には年に10000人の奴隷が投じられ、そのレールの75%が奴隷によって敷かれたとの調査結果がある。建築関連に限らず、19世紀のアメリカ南部の産業と経済の大部分は奴隷によって支えられていた。

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「リンチで燃やされた人々」

奴隷制が終わった後、白人至上主義者たちにリンチで殺された黒人の数は4400人に登るという(1877年から1950まで。ナショナルジオグラフィックより)。この数は全体の氷山の一角に過ぎないかもしれない。また、いうまでもなく、奴隷制時代に殺された黒人の数はこれを遥かに凌ぐ数字となるであろうが、この数字には含まれていない。

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「母親から引き剥がされて売られた奴隷たち」

奴隷は商品に過ぎなかったため、荷上げされれば買い手の意向でない限り、親子であってもバラ売りされた。また、一つの農場に勤めている親子も、奴隷主(白人)の都合で子供だけが他の農場に売りに出されることもしばしばであったという。2013年のグラミー賞映画「それでも夜はあける」の中に詳細で痛ましい描写がある。

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「南北戦争後の仕打ち」

リコンストラクション、あるいは復興期、と訳すべきだったかもしれないが、日本でも通じうる表現で訳した。南北戦争に勝利したリンカーン大統領によって奴隷制が廃止され、50万人もが死んだ戦乱からの復興を目指した時期を指す。しかし最下層の貧困者として世に放り出された奴隷たちに対し政治が十分な守りの手を差し伸べることはなく、彼らは飢餓や病気からも、さらには、残虐で強力な白人至上主義団体「KKK」からも身を守る術を持たなかった。一方で、奴隷解放を余儀なくされた元奴隷保有者である白人たちにはその損失の補償がなされた。

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「赤い夏」

1919年に全米に次々に巻き起こった白人勢力による暴動で、多くのケースでは白人が黒人をリンチした。その背景には、第一次世界大戦に起因する黒人労働力の台頭があったという。警察が介入を拒否したため黒人たちは応戦せざるを得なかったが、個別の暴動案件を裁いた後の裁判の数々で白人のみが陪審員となり多くの黒人たちが死刑になった。

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「人種隔離」

19世紀末、アメリカの最高裁が認めた「分離すれども平等」の原則。この時すでに差別を禁じていたはずの合衆国憲法に白人優位主義者たちが見つけた「抜け穴」だった。これは例えば、自治体が白人の通える学校と黒人の通う学校を分けても、それぞれに学校という公共サービスを提供しているなら問題ない、という考え方。いうまでもなく、実際に提供されたそれらの公共サービスは人種によって全く違ったクオリティのもので、人種間の平等を事実上骨抜きにした。

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ジム・クロウ法

南部諸州で黒人の権利を制限した法律全般をいう。白人と黒人が席を同じくすることを禁じたり、交際を禁じたりしたもの。1964年まで存在していた。「ジム・クロウ」は19世紀初頭に白人俳優が顔を黒塗りして黒人を演じ有名になったキャラクターの名。怯え性で愚かだが陽気で痛みや悲しみをあまり感じない、という、白人優位主義者にとって都合の良い黒人像を演じたものだった。

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5分の3人」

1865年にリンカーン政権によって廃止されるまで、黒人奴隷は議員の選出や課税の計算において「5分の3人」とカウントされていた。白人優位主義者たちにとって奴隷を白人と同じ1人の重さにカウントする平等はあり得なかったが、人間ではないただのモノや動物だとしてしまうと合衆国内の政治的立場に関わる人口割合として不利になってしまう。そのために編み出された妥協案だった。

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40エーカーとラバ一頭」

リンカーン政権下で元奴隷に対して政府がした約束。解放された奴隷1世帯に対し、自ら耕して行ける40エーカー(16ヘクタール)の土地とラバ一頭を与えるとされたが、リンカーンの暗殺後の政権によって撤回された。「黒人に対して政府が守らなかった約束」の代表例として知られる。なお「ラバ一頭」の件はもともと噂にすぎなかったという。