「Gospel」の誤解

Bible

ゴスペルの語源は、古いアングロサクソンの言葉で god spel で、その意味は「good news」です。これを「神の言葉」であるという説明がされることがありますが、この god は good の古語なので、完全な誤訳です。

キリスト教において、新約聖書の最初の4セクションが「Gospel」で、日本では「福音」あるいは「福音書」と訳します。これは大変美しい訳だと感じます。

福音書は、キリストの生誕、死、復活、に至るまでの情報を集めた「記事」であり、4人の別々の記者によって書かれた、同じ事件です(*ヨハネの福音書だけはやや趣が違います)。福音は、キリスト生誕以前の歴史の中で預言者たちによって予言されてきた救世主がついにやってきた、と言う「良い報せ」だったのです。

世界で最初に音楽ジャンルに Gospel というタイトルがつけられたのは、フィリップ・ブリスという宣教師が編集した1874年の聖歌集「Gospel Songs」で、聖書の教えをアメリカで広げるためのシンプルな聖歌を集めた聖歌集でした。すなわち、Gospel とは、キリストが来たという良いニュースを伝えるための音楽につけられたジャンル名だったのです。

そして日本では忘れられている大変大事なことですが、音楽ジャンルを指すゴスペルという言葉は、「黒人霊歌」や「バロック音楽」のような、「すでに過去のものとなり、現在では当事者がいない言葉」ではなく、「現在進行形でその名前で呼ばれている音楽である」ということです。

例えば「忍者」は、今世界で「ニンジャウォリアー(SASUKEの外国版)」や「ニンジャタートル」などに、おしゃれに使われています。言葉の本来意味である「領主のために働く、暗殺や諜報などの技術に長けた者」という意味とはかなり違っているわけですが、このような自由な用法は、「すでに忍者は存在していない(とされている)」ので「その言葉の持ち主がいない」からこそ可能になっていることです。

しかし、ゴスペルはビルボードにチャートを持つ現在進行形の音楽ジャンルであり、それを作っているアーティスト達もリスナーも、とうぜん言葉通りの意味でその音楽をとらえています。ゴスペルという言葉はキリスト教徒たちによって今大切に使われている言葉なのです。その文化についての知識のない人間だけが、J-popやミュージカルを歌いながら、宗教性とゴスペルという単語は分けて考えることができると考えてしまうのです。しかし実際はそれは、和食という言葉から日本という要素を取り除けると考えるほどに不可能なことです。

つまりゴスペルグループやゴスペル指導者は、忍者とは違い、今現在「本物がいる」のです。

「もうこの形で流行ってきているだから、日本では必ずしも宗教音楽を意味しなくてもいいのではないか」と言う意見を持つ人がいますが、それは、以下の例のように、立場が逆でしたら許されないことがお分かりになるでしょう。

2019年、アメリカの著名ファッションモデル、キム・カーダシアンが自身の立ち上げた矯正下着のブランドに「Kimono(キモノ)」と言う名前をつけたとろ、京都市長を含む世界中の多くの文化人や知識人、そして日本人たちが大反対をし、当初「私は日本の着物文化を尊重している、その上でのネーミングだ」と、強気だったカーダシアン氏もついにはKiminoの名前を断念しました。これは異文化に対する敬意のあり方が問われた問題であり、同様に、もし日本で力のある誰かが「日本ではゴスペルと言ってもキリスト教と切り離していいんじゃないか」などと口にしたら、日本や世界中のキリスト教徒からの烈火のようなバッシングに会うことは避けられないでしょう。

そのような動きは90年代から2000年代にかけて実際に日本でありましたが、それは文化的敬意を著しく欠いた思想であると言うことができ、結果として日本でのゴスペルブームを衰退に招いた一因であったことは否めません。

アメリカ人など英語ネイティブの人々の耳には「〇〇ゴスペルサークル」という名前は「〇〇福音サークル」と響いていますので、その音楽活動がキリスト教活動でないという日本の状況の理解にはかなり混乱が生じます。また、日本で信仰を持たずにそれを名乗る人々は、実際のゴスペルアーティスト達に会った時に自分が何者か名乗れなくなってしまいます。

グローバル化が進む世界の中で国際的な混乱を避けるため、ゴスペルなどから学びつつも宗教的な意図を持たずに地声コーラスを実践する愛好家の方々には、Power Chorus /パワーコーラスという言葉を使っていただくことを、当協会では提案させていただいています。